昨年の5月、マーク・ザッカーバーグがハーバード大学の卒業式スピーチで、アメリカにもベーシック・インカム(以下BIと省略します)の導入の必要性を主張しました。その後、オランダ人ジャーナリスト・歴史学者、ルドガー・ブレグマンのBIの本を紹介しました。
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これに続いて、今回は『AIとBIはいかに人間を変えるのか』を紹介したいと思います。
著者の波頭 亮氏は、元マッキンゼーの経営コンサルタントということもあり、政治的なイデオロギー、資本主義的な機会の均等か、社会主義的な結果の平等かといった観点からBIについて論じている訳ではありません。極めて実務的、近未来予想的な観点から、このままAIが進化していけば、おのずとBIの導入が不可欠になるだろうという主張です。
この本は、第1章がAI、第2章がBI、第3章がAI+BIの社会というシンプルな構成になっています。各章について、印象的だったことを紹介します。
第1章で、AIによって代替される仕事と、そうでない仕事について述べています。膨大な情報、データを処理し、規則性・相関関係を抽出したり、客観的妥当性を導くといったことはAIが得意とする分野になります。私の現在の仕事、経営企画・事業企画は、まさにこのような仕事、エクセルでデータを加工し、客観的な要因を分析する、あるいは投資を行なうべきか否かの判断をするといったことであり、将来はAIによって淘汰されていくことになります。そういうことを自覚して、今後、仕事をしていくべきだと思いました。
一方、AIによって奪われない仕事とは何でしょうか。著者は「感情労働」だといっています。状況を読み取り、相手の感情を汲んで、臨機応変に対応することで、相手に情緒的な価値を提供する労働ということになります。具体的には、医療、看護、介護、保育、おもてなしのような観光業といったところでしょうか。一言でいえば、AI時代の仕事は「心」が大事な仕事ということになります。但し、現状、医師は別にして、看護、介護、保育、観光業は、給料が決して良い業界ではありません。慢性的な人手不足により、長時間労働も問題になっています。AI時代になっても、必ず残るであろう仕事が、低賃金、長時間労働のため、人が集まらない、日本社会の大きな問題だと思います。
第2章のBIでは、著者はBIの財源確保の一つとして、金融資産課税を主張しています。具体的には固定資産税と同水準の1.4%、あるいは最低でも1.0%を提案しています。これは、私も含め、個人投資家としては悩ましい話です。本記事の冒頭で紹介した、マーク・ザッカーバーグのスピーチでも、富裕層やハーバード大学といった名門大学の卒業生は、BI実現のためのコストを負担しなければならないと主張していました。社会の安定のため、より格差の少ない社会を実現するためには必要なコストになるのだと思います。
第3章のAI+BIの社会では、AIが発達することによって、人間の何億倍もの情報処理能力があるAIが、自ら学習し、自律的に判断するようになると、人間は、殆ど何もさせてもらえなくなる。AIだけが、生産活動を担い、そのAIを所有する資本家だけが、絶対的な支配者になってしまうことになる。こうなってしまうと、殆どの人が仕事につくこともできないディストピアであり、こうならないようにするのに不可欠なのが、AIが生んだ富を「再分配」することであり、その中でも最も民主主義的かつ経済合理的なのがBIであると著者は主張します。
これについては、確かにそうだろうとは思いますが、一方で、私はAI時代になっても資本家(株主)は最強であり続けると信じていますので、株式投資を継続していくことは、AI時代を乗り切っていくためにも絶対に必要なことであると思っています。AI時代になって仕事がなくなっても、AIを駆使する会社の株主になって配当をもらえばよいのだと考えています。
最後に、AI+BI時代の働き方というのはどのようになるのか、「働く」という意味合いが、大きく変わると著者は主張します。生きるための対価を得るために仕方なくやらされる労働は不要になる、著者は「活動」という概念を提案しています。完全に自発的・能動的に行なうこと、報酬を得ることを必ずしも主目的にしない、知的好奇心に基づいて、深く追求していく研究開発活動、世の中を良くしていくための慈善活動・ボランティア活動、クリエイティブな芸術活動等になります。
今後の社会は、お金を稼ぐために嫌なことをやり続ける必要はなくなり、自分が本当にやりたいことをみつける能力、それを実行していく能力が、人生を豊かにすることだと思いました。そういう時代がやってくると思うと、個人的にはワクワクします。
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