5月末といえば、アメリカの大学は卒業式シーズンであり、多くの著名人が大学の卒業式でスピーチをするのが慣例になっています。
FacebookのCEO、マーク・ザッカーバーグが母校のハーバード大学(彼は中退していますが)の卒業式でスピーチをしました。なかなか感動的なスピーチだったと思いますので、紹介したいと思います。
日本語での概要です。
スピーチのメインテーマは、『全ての人々が、人生に意義を感じられるような目的感を持てるような世界を作ろう』というものです。
自分の人生の目的を見つけるだけでは不十分だといっています。彼自身が卒業生とほぼ同世代ということもあり、僕らの世代の課題は、”誰もが”目的感を人生の中で持てるようなような世界を創り出すことだと、より一歩踏み込んだ発言をしています。
また『平等』を再定義して、誰もがその目的に参加する自由を持てるようにすべきだといっています。GDPのような経済的指標ではなく、どれだけの多くの人間が意味のある人生を送っているかといった指標で、社会の進歩を測定していくべきであり、誰もが新しい挑戦ができる余地を与えられるような、ベーシック・インカム制度のようなものが検討されるべきだと提言しているのです。僕のような人間(彼のようなアメリカの富裕層)はこのコストを払わなければならないし、あなた方の(ハーバード大学卒業生、いわゆる名門大学の卒業生)多くも、そうすべきだし、実際にそうすることになるでしょうといっています。
非常に理想主義的なスピーチではありますが、『平等』を再定義すべきだ、アメリカでもベーシック・インカムを導入すべきというところが個人的には印象的でした。何故なら、私の個人的な経験から、日本人が考える『平等』という概念と、アメリカ人が考える『平等』という概念に大きな差があるからです。
日本人が考える『平等』は結果の平等です。終身雇用や年功序列による賃金制度などは、その典型だと思います。戦後、一億総中流社会が長かったこともあり、皆がほぼ同じ水準、同質であることが、日本社会の強みとされてきました。
アメリカ人が考える『平等』とは機会の平等です。その結果が不平等になる、勝ち負けを生むことは当然のことと受け止められています。法規制をできるだけ少なくし、参入障壁をできるだけ少なくして誰もが参入可能にして、自由に競争させることが、より良い製品やサービスを生むと考えられています。アメリカ株は一株から買えるということを初めて聞いた時は驚きましたが、まとまったお金がない人でも株式市場に参加できるようにするためであり、これも一種の機会の平等なのだと思います。
機会均等こそが平等と受け止められ、その理想を追求してきたアメリカ社会が、格差が余りにも行き過ぎて、自分の可能性を追求できない人が一人でもいたら、それは社会の損失であり、社会全体で助け合おうよという、従来のアメリカ社会の価値観に対するアンチ・テーゼ、やや青臭いメッセージな感じもしますが、感動的なスピーチだったと思います。
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