投資という名の長い旅

インデックスファンド、米国ETFを活用した長期投資で、2024年1月にセミリタイア、FIREを達成しました。市場に居続けながら、FIRE生活を楽しんでいきます。

「ニッポンの製造業」が世界最強?極めて疑問です

テレビ番組でも、ニッポン凄いの番組が最近、増えているような気がしますが、ニッポンの製造業は世界最強と自画自賛するような下記の記事には、正直、賛同できません。

 

headlines.yahoo.co.jp

 

自動車を除いて、最終製品を作る日本の製造業は、国際競争力を失い、すっかり衰退してしまいました。この記事が指摘するように、アナログなモノづくりである、部品/機械/素材を作るメーカーは、日本のモノづくりの最後の砦として、国際競争力を維持していることは事実です。但し、明るい未来が待っているかと言われれば、疑問です。高度成長期に蓄積した技術とノウハウ、要は過去の遺産で何とか食いつないでいるのが、現状だからです。

 

私自身も、大学卒業後に最初に就職した大手電機メーカーで最終製品を作るビジネスに関わりました。競争力を失ったその事業は売却され、現在は、工場も閉鎖され、跡形もない状況です。私は、最初の会社を退職した後も、同じ事業部の仲の良かった同期とは交流を続けていましたが、社外に新たな職を求めた人、売却された先で何とか頑張っている人、社内に残り別の事業部に異動した人、皆、散り散りとなり、色々と大変だったようです。

 

山梨の工場に転勤する前は、基本、地元の人達でオペレーションされていると聞いていましたが、実際に来てみて、現場をみていると、そう単純な話ではありません。現場の日本人ベテラン作業者は高齢化が進み、60歳の定年後でも再雇用されて嘱託として働いている人達も多いですが、あと何年、働いてくれるか、わかりません。

 

技術の継承という側面が、非常に難しい状況です。山梨の工場として、そもそも日本人を雇うことが非常に難しいという厳しい現実に直面しています。山梨の地元の工業高校等に採用に行っていますが、モノづくりに興味のある若者は、名古屋方面(トヨタ、あるいはトヨタ関連の部品メーカー)に行ってしまうようです。

 

そこで、海外の自社工場から、研修生として受け入れ、何とかやり繰りしているのが現状です。5月末にも、フィリピンの工場から半年間来ていた研修生が帰って行きましたが、その中で、日本語も英語も堪能な女性に、会社として在留資格のビザをサポートするので、山梨で引き続き働いて欲しいというオファーを出しました。彼女も、日本で働きたいという希望が一致したので、一度、フィリピンに帰り、現地の日本大使館でビザを無事取得し、7月から山梨に戻ってきました。

 

海外工場の従業員が、日本の本社の正社員として登用された、社内でも初めてのケースとなりました。この秋にはマレーシアの工場から研修生が来ます。このやり方が、今後もうまく機能していくかどうかは、わかりませんが、海外からやる気のある人を、国籍、人種問わず、日本企業に入れていくというやり方でしか、人材を確保できない時代が既に来ています。製造、生産管理といった仕事だけでなく、今後は金型設計、製造設備設計も外国人エンジニアに担当してもらう計画も、社内で着々と進んできています。

 

日本人の仕事はどうなるのか、残念ながら、減っていく方向であることは間違いありません。極端な話、このまま技術の継承は外国人ということになれば、将来、日本の本社は、海外関係会社からの配当を管理するだけという姿もあり得ると思います。そのような時が来る前には、セミリタイアを果たし、全く別のことをやりたいというのが、今の希望です。

 

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